ホメオパシーは科学と芸術のどちらでもあり、それゆえレパートリーもまた科学と芸術で構成されるべきである。
科学的な手法は機械的な手法である ; 症状を全てとり、関連するレメディーを全て、度数とともに書き出し、最後に顕著な度合いとともに要約する。
機械的な手法を省いた芸術的な手法があり、それはよりよいのだが、それは全てが使えるように準備されていない。芸術的な手法は、症状が非常に注意深く取られた後、症状全てに下された判断が必要とされる。症状は、患者に関した特徴としての価値が判断されねばならない ; 変わった、稀で特異であることを決定する合理的な心で、見直されなければならない。
患者にとって非常に特異な症状が、まず取られなけれなならず、そこから徐々に特異でないものを取っていき、普通で特異ではない症状になるまで取り、初めから最後まで順序立てる。
これらは患者の部分よりもむしろ患者に関しているため、均等に価値を置かねばならず、結論や病理的な症状の代わりに用いられなければならない。
取らねばならない症状:
まず、好き嫌いと、欲望と嫌悪に関したこと。
次に、合理的思考、つまり理性的思考に属すること。
3番目に、記憶に属すること
病理的な原因に関した症状や、病気や人間によくあることは全てを割愛し、患者の精神面の状態に最も適したレメディーが決定するまでは、これら精神面の症状は、まず通常の形で理解されねばならない。その総和が落ち着いたら5〜10個、あるいは出てきたそれ以上のレメディーのグループを比較し、症例の残りの症状に関するレメディーを見つける。
次に非常に大切な症状は、その人全体、その体全体、あるいは血液、体液に関する症状である : 熱に過敏、寒さに過敏、嵐に過敏、休息に、夜に、日中、時間に過敏。これらは症状とモダリティーのどちらも含んでいる。
できるだけ多くが見つかったものは、また精神面の要約である始めのグループでもあり、精神面は保管しておく。
精神面のグループや要約で、レメディーを書き出す必要はない;これらの症状は患者全体に関しており、成功への希望があるので省くことはできない。
次に確定するために、体の部位や臓器、部分、四肢の特異性にどのグループが最も類似しているかどうか、全体を見渡さねばならない。
優先順位としては、有機体の生命維持の働きに関するため、潰瘍からの分泌液、月経中の子宮からの分泌液、耳や他の部分からの分泌液によらねばならない。
次に、影響を受ける部分のモダリティーを使うと、それらは患者自身のモダリティーと真反対であることがよくあるだろう。一般的に自分自身には暖を求める患者が、体には反対で、頭やお腹、炎症部は冷やしておきたいため、同じルーブリックが患者と部分には合わない。特異性を分離したモダリティーによって一般化することで、間違ったレメディーになってしまったり、ある特定のレメディーに間違えて決めてしまったりする。
体の部分にさえ変わった稀な症状があり、それは経験を積んだ治療家が経験して導き出したので、高い、始めのクラスにランクづけすべきである。
安全にレメディーへと導いたり、結果を形作るるよう導くキーノートがいくつかある。それは心身の一般性は正反対ではなくて、モダリティーに関しており、それゆえキーノートの症状と反対になる。
マテリア•メディカで調べて、患者と一致し、患者に合い、症状、部分、モダリティーに合うと把握できれば、どのレメディーでも正しく働く。レメディーが、マテリア•メディカに見られるように、イメージにおいて最も類似した既住歴において、最高のマークがない可能性はよくある。
芸術的な処方家は、全てがアルファベットのシステムのために犠牲になったレパートリーにとどめることができないプルービングの中に、かなり多くの事を見る。芸術的な処方家は、頭に病気のイメージが定着するまで、マテリア・メディカを長く、真摯に研究し、必要ならば、そこに人間の病の特徴を埋め込むだろう。それは、名称をつけたり、あるいは分類するには、あまりにも多く、あまりにも多様である。いわゆる驚くべき治療を説明しようとする直感的な処方家をよく目にするが、彼は「そのレメディーをどうやって決めたか、はっきり言えないが、患者に似ている」と言うのだ。
これを聞いて、そう思えたり、そう見えたりするが、それを誰が説明しようとできるというのか。改宗者に属さない何かであるが、徐々に芸術的な処方家は経験を積んでいくのだ。芸術的な心にのみ芸術が育つ:それは全ての芸術家に認められる。それはヒーリングの芸術家に属すが、もしあまりにもかけ離れてしまったら、致命的な間違いを犯すことになり、それゆえ非常に機械的な方法でなされたレパートリーの作業で是正されねばならない。
処方と手法において注意深く行う傾向があればあるほど、芸術的な努力とマテリア•メディカの作業において処方家はより賢くなる。処方の2つの特徴は手を取り合っていかねばならず、高度の均衡を取らなければ、いかなるよき処方家にも、間違った手法と習慣が襲いかかる。